「戦争は爺さんが始め、おっさんが命令し、若者が死ぬ」

「『プッチンプリン』が東京に原爆を落とすらしいですよ。」
 中一の女子生徒が真顔でそう「報告」してくれました。「やばくないですか?」と。
 2月24日にプーチン大統領の命令でロシア軍のウクライナ侵攻が始まって1か月になります。「風が吹けば桶屋が儲かる」ではないですが、「キエフが落ちればトキオが滅ぶ」という直感なのでしょう。ジョークのような結論も、必ずしも排除できません。
 メディアでは、「プーチン側は『戦争』『侵攻』は使わず、ロシア系の人民を救済する特殊軍事作戦を遂行するという『虚偽報道』を国民に刷り込んでいる」と断定されています。同様に私たちは欧米側のロジックで「狂気で暴走中のプーチンに対し、国民のしもべゼレンスキーが命懸けのリーダーシップを発揮している」という、シンプルで感動的な物語を刷り込まれているのです。欧米メディアに我々も情報統制されていることは、忘れてはならないでしょう。
 長い歴史、さまざまな民族や宗教、利権や思惑の複雑な絡まりの果てに今の信じられないような状況が出来し、にわかに収束しそうもない展開が継続しています。「第一次情報大戦」という表現、言い得て妙だなと思えます。ミサイルで破壊される建物、血まみれになって右往左往する人々、子供たち… これらの「映像」の中には、別の時、場所、民族のものを転用しているものがあるようですし、中には「クライシス・アクター」と呼ばれる人々が出血メイクしたうえで被害者を演じていると、SNS上で拡散されてもいます。いったい何が虚偽で何が事実か判別不能なほど。もはや真偽に関わらず、いかに多数の信任を得たかが勝敗の分かれ目になる。
ロシア国営放送の編集担当女性が勇気をもって「戦争反対」「プロパガンダ(政府宣伝)を信じるな」と声をあげましたが、日本の報道関係者で、我が国の政府の「プロパガンダ」や「印象操作」を「信じるな」と発言する人が、だれか一人でもいたでしょうか。
「戦争とは爺さんが始めて、おっさんが命令し、若者たちが死んでゆくものだ」という名言があります。火事場泥棒よろしく「核シェアリングの議論を」とか「(エネルギー保障のため)原発の拡充を」「(国家緊急権獲得のために)改憲を早急に」などと唱える「爺さん」達には、よほど留意すべきでしょう。挙句に「東京に原爆」が投下されたとしても、その「爺さん」たちは、安全な場所で怒ってみせるだけ、なのですから。